About "AT通信"
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「奴隷のくせに生意気だ」---著[Anry]---画[]---
序章
夜。
――まるで山ね。
ゲブランド帝国の辺境貴族、ストランゴール家の令嬢ブランテスは、妙に冴えた頭で表現した。
空高く炎上し、崩れ落ちる屋敷の残骸を背景に、そびえ立つは巨大な竜。
高みより見下ろしてくる頭は、爬虫類を思わせる相貌で、腰を抜かしたブランテスを睨め付けている。
鋭さを見せる口角からは、野太い牙と焔色の吐息が漏れ出ており、細やかな燃焼音が夜を焦がす。
喉元から胴体にかけて形作られる、さながら蛇腹の岩肌といった、いかにも頑強そうな生身の鎧。
剣では切れず槍では突けず、矢でも射抜けぬ竜の鱗。
確か、人が扱う程度の魔術も効かないんだっけ、とブランテスは文献からの知識を引き出した。
ゆるりとした動きをもって、山のような竜が、双つの翼を広げる。
コウモリのような、それにしては巨大で、あまりにも力強すぎる竜の翼。
その有様、正に威風堂々。
黒天を仰ぎ、逆巻く焔を伴い掲げられた竜の翼に続いて、闇夜を震わす叫びが一つ。
竜、吼える。
吼えた竜の口内に熱が宿り、夜の闇を赤く染め上げる火炎、焔の色が増していく。
――これが竜のブレス、か。
焔の吐息を肌で感じながら、ブランテスは冷めた頭で、現状を正しく認識していた。
唐突に突き付けられた、理不尽にして無慈悲な終わりの運命。
どうにもならない。挑もうが、逃げ出そうが。
竜を前にした時点で、人のなし得るすべての可能性、あらゆる希望が潰えたのだ。
脆弱な人の身で、女の細腕で、目の前にそびえ立つ岩山のような――竜はどうにもならない、と。
最早これまでと、ブランテスは瞳を閉じた。
こつん。
「……ん?」
場違いなほど軽い音がした。
この期におよんで不思議に思い、目を開けたブランテスの視界には、動きを止めた竜の横顔が映った。
竜の横顔、やっぱり鋭角的だなと思う視線を追うと、
――あれは確か、ヘリン?
見覚えのある少年が居た。
幼さを残しながらも精悍な顔つきをした、黒い髪の少年。
屋敷の畑で毎日、朝から晩まで休まず働いていた、奴隷のヘリンだ。
元は帝国でも指折りの豪商の息子だったが、領土問題で失脚し、没落したのだと聞いている。
落ちるところまで落ちてきた割には、何かと真っ直ぐで、周りの奴隷とは明らかに毛色が違っていた。
他の奴隷たちが無気力に働いていく中、ヘリンはやる気を持ち続け、よく仕事に精を出していた覚えがある。
ヘリンはぼろ切れ同然といった作業着もそのままに、張り詰めた面持ちで竜を睨む。
ブランテスは思う。ヘリンが何故、ここに居るのだろうかと。
どこから来たのか竜が来て、焔が上がり、騒ぎになっている。
屋敷の警備をしていた者や村の民たちも、無事な者はみな避難しているはずだ。
明らかな有事では、奴隷のものたちが自発的に逃げたとしても、咎めるような時代ではない。
保身を優先し、皆と一緒に逃げ出せばいいものを。
竜の興味がヘリンに移った。
ブランテスはこの機を逃さず、竜に気づかれぬよう後ずさる。
竜は、山が動いたような荘厳さで身体を横に向けると、ヘリンを見下ろした。
竜の視線を直に受けたヘリンは身震いを一つ起こし、睨み付ける眼差しをもって竜に向かい続ける。
人の身の、小さな身体と非力な手足。竜の強大さとは比べるまでもなく、哀れなほどに人は矮小だ。
竜の一吹きで消し飛ぶ。
理屈ではなく、事実として理解できないはずはない。
村を焼き人を焼き、夜を焼いたその元凶がいま、目の前にいるのだ。
是非もなく、否応なしに蹂躙されるが人の定めなのだと。
そう、竜が嗤ったような気がした。なのに。
「来い! かかって来いよ! お前の相手は、ここにいるぞ!」
――なんで、逃げないの?
肩幅ほどに広げられた両足、落とし込まれた腰を支点とした格闘姿勢。
ヘリンは拳に小さな石を握りこみ、両手を掲げる構えを取っていた。
石を用いることで、打撃の非力さを補うつもりだろうか。
なるほど確かに、合理的で、実用性のある戦術だと言えよう。
しかし、相手は竜なのだ。人を相手取った闘いとは、そもそもの次元が違いすぎる。
明らかに無理がある。いっそ無謀の極みといっても過言ではない。
怯えがないはずはない。
構えの随所で、小刻みな身震いが起きているのがその証拠だ。
しかし、ヘリンは逃げない。逃げようとしない。
愚かとも言えるほど、竜を相手に、立ち向かう姿勢を崩さない。
ブランテスは思う。何故、ヘリンは逃げようとしないのか。
まさか、闘って勝てるような存在だと、そんなバカげた考えを持っているのではないか。
相手は竜だ。分が悪い所の話ではなく、冗談にもほどがある。
竜が吼えた。
瞬間、ブランテスは何かに突き動かされるまま叫んでいた。
「逃げなさいヘリン! 命令よっ!」
「いやだね!」
即応、返された言葉は拒否の一言。
ブランテスは目眩を覚えた。
これまで生きてきた十数年間、奴隷に命令して断られたことは一度もない。
それもそのはず、ブランテスは貴族であり、ヘリンは奴隷なのだ。
奴隷とは貴族の所有物であり、その生殺与奪の全権を握られる被支配層。
家長でもあった父上殿の温情によって、一般的な奴隷とは比べ物にならないほどの好待遇にあったとはいえ、奴隷は奴隷に過ぎない。
奴隷の身分で、主君たる貴族の命令に背くやつがいるとは。
ブランテスは内心、驚の感情を得た。
――生意気なヤツ。
竜が吼え声を上げ、翼を振るう。
たったそれだけの仕草で、風が起きた。
巻き起こされた風は、竜の口から漏れる焔の吐息と混ざり、幾本もの火線を引いてヘリンを吹き付ける。
「ぐ、ぅ……!」
低く唸り、ヘリンは掲げた腕を狭めて頭を庇い、身を屈めるように守りを固めた。
亀のように丸まり、火風をやり過ごすヘリンのそこかしこが焦げ付いていく。
風の中に織り込まれた竜の焔が、野晒しの腕や足のみならず、ぼろに守られた身体にまでも線上の火傷が刻まれた。
その身以外の何も持たない奴隷の身では、竜に抗うことなど出来はしないのだ。
万全の準備を整えた歴戦の猛者でさえ、竜に挑もうなどとは思わない。
たとえそれが屈強な軍隊になろうが、手練を集めた精鋭部隊であったとしても、竜に挑むなど狂気の沙汰だ。
竜の、戯れにもならない仕草一つでこの無様。
いくら口で嫌だと叫ぼうと、竜は心底どうしようもない。どうしようもないのだから、
「逃げ、ろ! ……お嬢、さっさと逃げろ!」
奴隷のヘリンが、何事かを叫んだ。
――はて。
ブランテスは思考に一拍を入れる。
誰が、誰に向けて、逃げろと言うのか。
奴隷が、貴族に向けて、逃げろと言うのか。
――しかも命令口調?
自らの身を省みず、あろうことか貴族に対して忠を通す。
それも建前ではなく、身体を張った、命がけのパフォーマンスとして。
奴隷のヘリンは、貴族のブランテスを逃がそうとしていた。
ブランテスは思い起こす。
忠には忠を、義には義を。ストランゴールの貴族は、尽くされる忠義に報いねばならない。
それが、かつて『辺境領域の守護騎士』と称えられた父上に教え込まれた、奴隷との付き合い方だった。
眼前、竜がさらに鋭く、吼え声を上げた。
両翼が天高く掲げられ、山が逆向くような、人知の及ばぬ威容を前に。
やはり、ヘリンは逃げ出さない。
怯えは顕在だというのに、ヘリンは竜に向かい前進する。
歩みは小さく、ただ一足分ほどの前進でしかない。
――まったく、奴隷のくせに。
対し竜は口角を開き、野太い牙を外気に晒すことを厭わず、空気を吸い込む動作を見せた。
竜のブレスだ。
村の建造物をたやすく焼き払い、人を消し炭と化し、荒れ野を残すだけの無慈悲な火焔。
その前段階の大気吸引だと、ブランテスは知識として知っていた。
過去のあらゆる文献を紐解いた末に得た結論、竜はどうしようもない。だから、
――いい度胸じゃないの、この下僕が!
手をかざし、距離を挟んで睨みあう、ヘリンと竜の中間に狙いを定める。
ちらりと、薬指にはめていた指輪の蒼が目に入るが無視。
一般的な詠唱ではなく、喪われた古の秘儀、無式詠唱により己の内なる水晶力を喚起する。
<<術式選択/氷結/第一位ブリザードカレス/触媒による詠唱代行>>
ぱり、と破砕の音をたて、気に入っていた指輪の宝飾が割れた。
一年分の小遣いを貯めて、奴隷に施す授業の内職もして。
遠路はるばる帝国首都まで買出しにいってからというもの、肌身離さず大事にしていた蒼玉の指輪。
寝るとき、勉強のとき、お風呂のとき。散歩のとき、仕事のとき、いつでも一緒だった。
いつでも、自分の愛情と好意と言葉と、――晶力を注ぎ愛でてきた。
だけど、ごめん、とブランテスは愛惜の思いを代償に、
「いっけぇ――ッ!」
一度限りの無式詠唱を発現せしめた。
ブランテスの手を始点とし、極縮の吹雪とも呼べる氷結線群が放たれる。
同時、燃え盛る竜のブレスが、ヘリンに向けて吹き付けられた。
虚空でぶつかり、せめぎ合う吹雪と火焔。
人の手と宝石の秘儀による極縮吹雪と、竜による火焔の吐息。
軍配は、一分の変動もなく炎に上がった。
吹雪との衝突により、やや減衰されたとはいえ、ブレスの火勢は身を屈めるヘリンを焼き尽くし――
「――おぉおッ!!」
呼気一閃。
ヘリンは迫り来る火焔を前にさらに前傾し、守りもそのまま前方へと――身体を撃ち込んだ。
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