About "AT通信"
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NOVEL
「浦波」---著[ディガル]---画[ラフラ。]---
第二項(完)
雨が上がり、緑の葉から夕暮れの赤を写した水滴が落ちる。
赤く染まる世界に、俺と女は向き合って立っていた。
進むべき道も定まり、武技においての疑問も解消された今、俺の心気は澄み渡り、雑念一つなかった。
心気の澄み渡った状態というのは、何も考えていない状態に近いが、全ての感覚が解放され、今までの数倍の知覚を得ている自覚があった。世界を全身で感じとる。風の動き、周囲の葉のそよぎ、滝の水の一滴すら明瞭に受け取り、世界すべての拍動を在るがままに受け入れる。
在るがままに、在る。
この俺の存在は世界の一部であり、女の存在もまた世界の一部。敵であれ、味方であれ、それも在るがままに在るもの。
剣戟は、それらの関係性を現すつづれ織りの一部に過ぎない。
俺は、刀を握って女と対峙していることすら意識しないでいた。
対峙していた時間が長かったのか短かったのか、それすら意識にない。ただ雨上がりのぬるい空気と虫の羽音、ゆるい風が通りすぎて、葉がかすかな音を立てる・・・そんなことだけを知覚し俺は立っていた。
女は苦無を構えているが、その攻撃衝動はまだ見えない。
とうとう、女が動き出す。左に回りこんで中段の蹴り。俺はほんの少し下がって蹴りをかわす。続いて左苦無。これもほんの少しだけ下がる。迷いが攻撃の端々に見える。更に右苦無が連撃で来る、これはやや本気なので刀で受け流す。
女は流れるような動きで飛びすさり、間合いを取った。かすかに頭を振ったのが見えた。今までとは勝手が違うらしい。
俺が静か過ぎるのだ。
俺にとって、意念を読むということは難しいことではなかった。
今までは単純に俺が相手の気持ちなど気にしていなかっただけだ。
意識し始めた時には、それが出来るだけの経験を積んでいた、と言い換えてもいい。
刀を合わせ、斬り合うことで、相手を知る。刹那にそれらが何度も交錯することを思えば、言語や仕草によるよりも直裁かつ雄弁に意念を伝える手段だと思える。
俺は、ようやく女の意念に触れつつあり、その意図を理解しつつあった。
ならば。
答えを返してやらなければならない。女の意に対する答えを。
俺はゆらりと一歩踏み出した。
女が下がらずに前に詰めてきたが、俺は構えも緩やかに、更に一歩進む。片手には刀。片手には逆手に持った鞘。
そこにまだ俺の意念は伝わってはいない。
女が突進してくる。狙いは左苦無で右脇腹を突いてくる、と≪読めた≫。
俺は軽く刀を動かしながら左前に体を倒す。刀を振るうには時間が足りない。苦無はすぐに軌道を変化できるが、刀は振るってしまうと戻りに時間が掛かる。
最小限だけ動いて、苦無の軌跡から少しだけ避ける。
女は苦無を押し込めず、左足を少し引いた。右の苦無が少し後ろに下がる。右を突いてくるか?
いや、狙いは俺の軸足を刈る左足の下段蹴りで、右の苦無は囮だ。
だから、俺は右の苦無を狙って刀を振るって戻す。振った時には刀は戻っている。何かを考えてやったのではなく、思考した時にはもう体が動き、完了していた。
金属音と共に苦無が女の手を離れて飛ぶ。女の左足が振り出される前に、女の真正面に体をねじ込んでいく。
女の焦りが≪わかる≫。女の左足が回りきる前に俺が移動してしまうからだ。しかも右の苦無は飛ばされている。
そして両脚の間に踏み込まれると、とっさには有効な打撃を出せない。瞬時にそういった困惑の意念が≪見えた≫。
だが、俺の右手も刀を振るうには密着しすぎている。それは女にもわかった筈だ。狙いを変えて、女の右足が俺の左足を踏もうとするのが見えるが、重心は既に右足に移っており、体は零距離まで接近している。
今こそ、女の意に応えるべき時だった。
≪これが答えだ!≫
俺は夢幻のうちにいるような感覚のまま、体の勢いを殺さず左手の鞘を突き入れた。女の体の中心を貫くように。
「かはっ」
女の肋骨の下に鞘を突き入れたため、女は溜めていた息を全部吐き出すことになった。体に張りつめた力が抜け、そのままくにゃりと俺の方へ倒れ込む。
零距離で女が倒れてきたため、抱き留めようとして刀を手離す。
力が入っていない体は予想以上に重く、かろうじて半回転し、草の上に倒れ込むのが精一杯だった。
倒れ込んだ俺は間近で女の顔を見た。呼吸ができず苦しそうな荒い息に、ほのかに赤い頬。目は今にも涙が流れて来そうにうるんでいる。
白い胴衣の胸元がはだけ、胸のふくらみが少しだけ覗いている。
柔らかい体の感触と胸のふくらみを意識してしまい、俺は下半身の一部に血が集まるのを感じた。自分の中に芽生えた劣情に驚き、気恥ずかしく思い、体を起こそうとする。
すると、女の白い手が伸びてきた。
俺の首にしなやかにまとわりつき、ぐっと引き寄せる。
女の白い顔が近づいてきて、唇が重なった。柔らかい感触。
俺も女も、お互いの唇を舐め、吸い、貪りあった。
やがて、唇が離れた。お互いの唇を唾液の糸が繋ぐ。
離れがたいことに気がつき、俺は女の目を見つめた。
「やっと、わかったのね」
女が荒い息の下、微笑む。
「あなたがやった歩法が“浦波”、そして打撃が“鼓”。
やっと、辿り着いたわね」
そしてまた唇を求める。俺も応じて唇を吸い、舌を絡ませる。
溶け合う体と心を実感する。もっと深くまでわかりあいたい。
その意念は読んだり見たりする必要もなく共通だった。
俺は女の肌を求めて白い胴衣を開き、白い双球にむしゃぶりついた。女は腕を俺の背中に回し、ぎゅっと力を入れ、白い胸に俺を押しつけた。
その後の時間は、本能のままに振る舞う獣たちの時間だった。
夜の闇が二人を覆い隠しても二人は離れることなく、何度も何度もお互いを求め、体を絡めあった。貫いて律動しては果て、体を突っ張り痙攣しては果て、嬌声も呻きも、お互いの存在を確かめ、お互いの快楽を掘り起こすためだけに絞り出した。
何もかも思い出せると言えば思い出せるし、何も思い出せないとも言える。我は我でありながら、他人と深く繋がり、二人が一つの生命として生きた時間だった。
何度目かの頂点を二人で迎えた後、俺は気を失うように眠った。
眠りに落ちる寸前、女がかすれた声で何か言おうとしていたのは覚えている。
が、言葉を認識する前に俺の視界は暗転した。
* * *
静かな森を風が渡り木々を揺らす、さーっという音で目が覚めた。
世界がまるで違って見えるような、そんな目覚めだった。
だが。
足りないものがある。
女がいない。
睦み合った草のしとねに、女の姿がない。俺はがばっと身を起こし、女を捜した。朝の緩やかな陽射しの中、俺以外の生物の立てる音がひとつもない。
俺は岩屋に向かった。意識してはいなかったが足早に。
そこには俺の荷物しかなかった。
否、正確には、俺の荷物に、昨日女が持っていた刀袋が立てかけてある。
俺は瞬時に覚った。眠る前に女の発した言葉を。
あれは別れの言葉だったのだ。
俺は、しばらく立ち尽くした。
昨夜の通じ合った心と体はなんだったのか。
俺は守るべきものにようやく辿り着いたのではなかったのか。
それがお前の望みではなかったのか。
一人でいたくない、という。
俺は荷物の前に膝をついた。
そしてそのまま長いこと動けなかった。
呆然としていた時間が長かったのか短かったのか。
俺は手を伸ばし、刀袋を手に取った。
錦の紐を解いてみる。
使い込まれた、そして良く手入れされた一振りの刀が現れた。
鋼に丹塗りの朱鞘は色褪せているが、頑丈さは全く失われておらず、刀身の方も見事な重さだった。まさに名刀と呼ぶに相応しい刀。
「これを継げ、ということか」
俺は言葉に出してみて、その意味に思い当たった。
これは女にとって形見の刀。それを継ぐということは・・・
言葉よりも雄弁な意念が、そこに現れている。
迷うことなく、俺は刀を鞘に収め、腰の刀と交換した。今まで使って来た刀を刀袋に入れ、紐できつく縛る。
俺は荷物を纏め、担ぎ上げ、歩き出した。
森の木々は風にざわめいて、俺の背中を見送ってくれた。
---捜し物を見つけたら、またここに戻って来い。
そう囁いているようだった。
その声に押され、俺は坂道を走って駆け下りた。
---劇終
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